青年海外協力隊として私の暮らすドミニカ共和国。道を歩いていると、ひときわ肌の色が黒く、髪を細かく編んでいる人々の集団を見かける。ハイチ人だ。ドミニカ共和国には、同じイスパニョーラ島の西側を占めるハイチの人々がたくさん住んでいる。今回はドミニカ共和国に暮らす彼らの生活と隣国ハイチとの関係についてお届けしたい。
■外国人の87%がハイチ人!
ハイチというと、2010年に起きた大地震の被害が記憶に新しい。以前から多くのハイチ人がドミニカ共和国で生活していたが、地震をきっかけに移り住む人がさらに増え、そのトレンドは現在も続いているようだ。2013年の国家統計局の調べでは、ドミニカ共和国在住の外国人52万4632人の87.3%に当たる45万8233人がハイチ人だ。
海外からハイチへの援助は近年ますます増加し、ドミニカ共和国内でも特にハイチとの国境付近で多くのボランティア団体が活動している。北部に位置するダハボンでは国境沿いに流れるマサクレ川を泳いで、ドミニカ共和国へと渡るハイチ人の姿が見られるという。命からがらのその光景は衝撃的で目に焼き付いて離れない、とそれを目にした他のボランティアは教えてくれた。
ドミニカ人はハイチ人に対し、「働き者」というイメージを持っている。その理由は、ドミニカ人が普通しない仕事をやってくれるからだという。その半面、ハイチ人に関する悪いジョークを言ったり、差別的な発言をする人々も多くいる。そのような場面に出くわすと、外国に住んでいるという意味で同じ立場である「外国人」として苛立ちや悲しさを私は感じてしまう。
歴史的に戦争や領土支配を何度も繰り返して来たハイチとドミニカ共和国。現在はハイチ人に対する差別や偏見はないと一般的にいわれるが、多くのハイチ人の社会的地位は低い。従事する仕事は、物売りや建設業、林業、農業、製造業などだ。歴史的な軋轢からハイチ人に対する偏見や差別的感情を持つ人々も特に年長者に多い。ハイチ人だというだけで犯罪を犯す、麻薬を売買する危険な存在だというイメージを持つ人も少なくない。
このような隣国同士の歴史的な軋轢や根強く残る差別的感情は世界中で見られることで、日本とアジア諸国との関係を思い起こさずにはいられない。
■ハイチクラブで楽しくダンス
私はあるとき、友人に連れられ、ハイチクラブという場所を訪れた。客はハイチ人ばかりで、彼らのクレオール語があちこちで聞こえる。昼間、道端で行商をする普段着とは似ても似つかない綺麗な服で着飾った人々。レゲエにも似たハイチ独特の音楽、コンパに合わせて男女がペアになり踊る。普段は見ることの少ない彼らの生き生きとした表情と活気に私は驚き、そして嬉しくなった。
ハイチ人に対する悪いジョークは大人だけでなく小さな子どもまでもが使う。一見すると差別のない、混血が進むドミニカ共和国。しかし、本当の意味で、ハイチ人も含むすべての人々に対し自由で差別のない社会を望まずにはいられない。ハイチクラブで見た、彼らの生き生きとした楽しそうな表情が今でも忘れられない。すべての人々に対して住み良い自由な国であるということは、すべての国の課題であるのかも知れない。(種中 恵)